年齢のせいかどうか・・・最近、本当に声が出なくなりました。もともと、私は、声がよくない、ぼそぼそしゃべる、滑舌(かつぜつ)が悪い、というようなことをよく言われたものでした。若い頃から・・・はっきり喋れ、というふうに言われることがよくありました。まずは・・・大きな声を出すことが、私は、苦手です。大声を出すのが、辛いんですね。自分が出した声は、まず、自分が聞きますから・・・。以前にも書いたかもしれませんが、私は、目が悪い替りに、耳はいいのです。とてもいい。感度のいい耳です。小さな音も拾います。で、雑音、というのが、とても辛いんです。他人の大声、というのも、本当に堪えます。自分の声も、自分が聞いていて、耳触りのよい音量にして、喋ろうとします。すると、対話の相手方には、聞こえ難い、というようなことがよく起こるんですね。結局のところ、自分が、自分の大きな声に慣れて行けば、この問題は解決する、ということになりそうですが・・・。しかし、今度は、声の質、ということが問題になります。いい声、であるなら、多少大きくても、耳触りではない、ということです。ここで、私において、ボイストレーニングへのニーズが生まれるわけです。ボイストレーニングを入念にやって、聞き易い、大きな声、を出す、ということで、最初に自分の声を聞く、自分にとって、辛くないように、と、いうことになる、というわけですね。自分にとって辛くない大きな声を、ボイストレーニングによって、得る・・・ということですね。

コメントは受け付けていません。

“ボイストレーニングとボイストレーニング教室“声の大小ではなく、内容が問われることが望ましいのですが、私たちが生活している日常は、正当なことだけが通用するとは限らないところでもあります。まあ、だからといって、既出の現役閣僚のように、箸にも棒にも掛からないような馬鹿な論理を、無理に押し通そうとして、持ち前の大きな声に載せよう、とするなどは、まあ、それこそ、論外ですが・・・。私は、これから、大きな声、よく通る声、わかり易い話し方、発音、こういったことを学ぶための教室に、暫く通ってみようと思います。それが、ボイストレーニングということであるなら、ボイストレーニングをするための教室をこれから探し、その教室にかよって、自らの声、話し方、といった、コミュニケーションのツールであり、また、私にとって商品でもあるこれらのものを、磨き直してみようと思います。ボイストレーニング教室での学びと成果。” なんて、大見栄を切って、“結果は、また、報告しますね。乞うご期待。” なんて、やってしまったわけですが・・・実は、私はまだ、ボイストレーニング教室に通い始めてはいません。長年乗った車を売ることと、新しい車を買うことをまず、先にならなくちゃならなくなったからです。ボイストレーニング教室を探してはいます。しかし、しっくりと来るボイストレーニング教室が、まだ、見つかっていない、というのも、事実なんです。今回は、ボイストレーニング教室・中間報告編、ということで・・・。

コメントは受け付けていません。

よく通る声

“大きな声、よく通る声、流暢な喋り、というものが、その喋りの主の無能さ、自身が無能であることを知らない愚かさ、浅はかさ、というものを、一時的に、覆い隠してしまうことだってある、それも、組織の中枢のような場面・場所において、起こり得る、ということになるとしたら・・・。恐ろしいです。ただただ、ボイストレーニングとボイストレーニング教室、というものについて、私は、いま、恐ろしさを感じます。あの、ボイストレーニング教室に通って、中身のないことを流暢に喋る、あの、某要人の、浅はかな表情を目の当たりにして。” 大きな声で言ってしまえば、通らないものでも通ってしまうことがある、というテーマで、古い記事を書いたことがありました。世の中には、この手の不条理が大手を振って通ってしまうことがあるんですね。だからといって、ボイストレーニング教室に通うことが、通らないことを通すための“声”を身につけることだ、と短絡させてしまう積りはありません。通らないことは通しちゃいけないんで、そこのところは、いかにボイストレーニング教室に通って、声を鍛えても、同じです。しかし・・・・・・。よく通る声を身につけることは重要です。ボイストレーニング教室、ボイストレーニングセミナー、いろんな形で集客が出来る、ということは、よく通る声の重要さに気が付いている人が、増えている、ということにほかなりませんよね。ボイストレーニング教室で身につけた、よく通る声を悪用することなく、あなたの喋りを、おおくの方に聞いてもらうために、ボイストレーニング教室を使ってみましょう!

コメントは受け付けていません。

要人でなくても 2

“もしも、未だ、ボイストレーニング教室に通っていない私と、先ほどの例の、ボイストレーニング教室に通っているらしい、全く無能であるのに自分の無能さにまるで気が付いていない、例の要人とが、どこか公の場で議論する、というような状況を思い浮かべてみましょう。もしもわたしが論理的に話しても、ボイストレーニング教室へ通っていない私の喋りよりも、全く内容のない、ボイストレーニング教室に通っている某要人の喋りの方が、聞こえやすいことは確かなようです(笑)。” 要人であってもそうでなくても、話に内容があってもなくても、ボイストレーニング教室に通っていたか、ボイストレーニング教室に通ったことがないか、という違いは、これは大きいですね。この、ボイストレーニング教室に通っていたか、ボイストレーニング教室に縁がなかったか、の違いの大きさは、その人の話が論理的であるかどうか、中身があるかどうかよりも、ある意味、重要である、ということが言えるかもしれません。大きな声、よく通る声、流暢な喋り、というものが、その喋りの主の無能さ、自身が無能であることを知らない愚かさ、浅はかさ、というものを、一時的に、覆い隠してしまうことだってある、それも、組織の中枢のような場面・場所において、起こり得る、ということになるとしたら・・・。恐ろしいです。ただただ、ボイストレーニングとボイストレーニング教室、というものについて、私は、いま、恐ろしさを感じます。あの、ボイストレーニング教室に通って、中身のないことを流暢に喋る、あの、某要人の、浅はかな表情を目の当たりにして。

コメントは受け付けていません。

“先程の、最高責任者の例は、ボイストレーニング教室になど縁のなさそうな、うつけ者の例、として出しましたが、こちらの例は、ボイストレーニング教室で入念にボイストレーニングをしているうつけ者の例です。同じうつけ者、であるなら、ボイストレーニング教室へ行かないよりも、ボイストレーニング教室に行っている方が、まだまし、ということが言えるのではないでしょうか?” 例えば私は要人ではありません。ただの、市井の人間です。で、無能ですが、自分が無能であることを知っているので、先の、ボイストレーニング教室に縁のなさそうな最高責任者の無能者や、ボイストレーニング教室に通っていそうな、これも要人の無能者、と比較して、自分が無能であることを知っている分だけ、ましかな、というふうに思っています。私はボイストレーニング教室に、未だ通っていません。しかし、ボイストレーニング教室の重要性は、よく知っている積りです。たとえ自分が無能者であろうと、人前で話をする機会というのは、やはり、ある程度の年齢になれば、そういう機会が訪れることもあるので、あらかじめ、ボイストレーニング教室に通っている、ということも有意義なのではないか、と、考えています。実際のところ、そうでしょう。しかし、私は未だ、ボイストレーニング教室に通っていません。もしも、未だ、ボイストレーニング教室に通っていない私と、先ほどの例の、ボイストレーニング教室に通っているらしい、全く無能であるのに自分の無能さにまるで気が付いていない、例の要人とが、どこか公の場で議論する、というような状況を思い浮かべてみましょう。もしもわたしが論理的に話しても、ボイストレーニング教室へ通っていない私の喋りよりも、全く内容のない、ボイストレーニング教室に通っている某要人の喋りの方が、聞こえやすいことは確かなようです(笑)。

コメントは受け付けていません。

要人スピーチ 2

“どうも、この要人は、ボイストレーニング教室とは、これまで、縁のなかった人なのでは、とおもってしまうのです。そのくせ、経歴は、市民活動家、というか、アジテーターのようなことをして、経歴ロンダリングをしてのし上がって来た、というような輩なのですから、ボイストレーニング教室などに通って、アジりに役立てる、ということくらいはしてそうなものですが・・・。” また、こんな“要人”います。かつては、取り締まられる側にいた人間が、なにかの間違いで、取り締まる側のトップになってしまった、という、なんの冗談か、と思えるような仕上がりの“要人”なのですが、この方は、ボイストレーニング教室で、入念にボイストレーニングをして、いかにも教室で身につけた、と思わせるように、呼吸法も見事なものです。で、いろんな質問に応えます。まるで中身がなくって、言いわけにもなっていない屁理屈を羅列するばかりです。しかし、なにしろ、ボイストレーニング教室で入念にボイストレーニングを行っているものですから、喋りの中身がまるでないにも関わらず、話し方には澱みがないんですね。よくもまあ、あれだけ内容のない、屁理屈にもならない戯言を、滔滔とノタマえるもんだ、と、感心してしまうのですが、それでも、ボイストレーニング教室で行う入念なボイストレーニングというものの威力に対して、私は、素直に認めざるを得ません。先程の、最高責任者の例は、ボイストレーニング教室になど縁のなさそうな、うつけ者の例、として出しましたが、こちらの例は、ボイストレーニング教室で入念にボイストレーニングをしているうつけ者の例です。同じうつけ者、であるなら、ボイストレーニング教室へ行かないよりも、ボイストレーニング教室に行っている方が、まだまし、ということが言えるのではないでしょうか?

コメントは受け付けていません。

要人スピーチ

ここのところ、毎日のように、政府の要人の記者会見や、声明発表のようなものをテレビで観る機会があります。最高責任者の某氏は、まるで自信なさそうにぼそぼそと話すかと思えば、明らかに自分に非があるのにそのことを全く認めず、厚顔無恥に開き直る、人に責任を被せる、といったことを繰り返しています。映像や音声はずっと残るので、末代までの恥辱、ということになるのではないのかな、というふうに思ってしまいますが、このポジションの人に仕事をしてもらわないと、私たちに未来はないので、深刻です。市民に向けて、声明を発表したりする人は、当然のように、ボイストレーニングをしたり、ボイストレーニングの教室に通っていたりするものだと、私たちは思いがちですが、先ほど例に上げた、最高責任者の方などは、どうも、ボイストレーニング教室などとは、あまり縁がないように見えて、聞こえてしまいます。まず、声が、ボイストレーニング教室通いなどをしていたとはとても思えないような、聞き苦しい声です。話し方も、図々しく開き直ることや、質問されたことにまるで答えないで、頓珍漢なことを延々と述べたてるためには、ボイストレーニング教室に通うことなどは、却って、邪魔になるのではないのかと思わせるほど、聞いている側のイライラを募らせるために喋っているような喋り方です。どうも、この要人は、ボイストレーニング教室とは、これまで、縁のなかった人なのでは、とおもってしまうのです。そのくせ、経歴は、市民活動家、というか、アジテーターのようなことをして、経歴ロンダリングをしてのし上がって来た、というような輩なのですから、ボイストレーニング教室などに通って、アジりに役立てる、ということくらいはしてそうなものですが・・・。

コメントは受け付けていません。

このサイトの最初の方の記事で、某現役閣僚が、まるでとんちんかんなことを大きな声で、周囲を睨みつけるような偉そうな態度で宣(のたま)った、っていう話をしました。

“大きな声で言ってしまえ”

ってわけでもないでしょうけれど、大きな声が出る、出せる、というのは、有利な場合が多い、と言えなくもないな、とも思う訳です。
いくら論理的に整合性のある意見を言っていても、小さな声でぼそぼそでは、ときに、迫力に欠けるとして、顧みられなくなるようなことになりかねません。声の大小ではなく、内容が問われることが望ましいのですが、私たちが生活している日常は、正当なことだけが通用するとは限らないところでもあります。まあ、だからといって、既出の現役閣僚のように、箸にも棒にも掛からないような馬鹿な論理を、無理に押し通そうとして、持ち前の大きな声に載せよう、とするなどは、まあ、それこそ、論外ですが・・・

私は、これから、大きな声、よく通る声、わかり易い話し方、発音、こういったことを学ぶための教室に、暫く通ってみようと思います。それが、ボイストレーニングということであるなら、ボイストレーニングをするための教室をこれから探し、その教室にかよって、自らの声、話し方、といった、コミュニケーションのツールであり、また、私にとって商品でもあるこれらのものを、磨き直してみようと思います。

ボイストレーニング教室での学びと成果。

結果は、また、報告しますね。
乞うご期待。

コメントは受け付けていません。

アナウンサーは?

でも、まあ、講演講師や研修講師として仕事をしている人間だったら、やっぱり、講演や研修で長年やってきた人が開く教室、という形の方が、直接的には請けがいい、かもしれません。
ただ、まあ・・・私のように、極端に声が小さくって、音質もよくない人間にとっては、講談師のあの、独特の節回し、と言いますか、あの、なんとも言えない起承転結の付け方、憧れるんですよね。

ああ、ボイストレーニングと言えば、もうひとつ、重要な仕事について見て行くのを忘れていました。テレビやラジオのアナウンサーですね。ニュース原稿を読んだり、番組そのものを仕切って行く人を、ニュースキャスターと呼ぶのか、それとも、アンカーと呼ぶのか・・・。どちらにしても、彼ら彼女らは、その声といい、話し方といい、本当に、よくトレーニングを積んでいるな、という印象ですよね。テレビ局などは、ボイストレーニングの教室そのものが、組織の中に存在しているのでしょうか?
外部のトレーナーが毎日のようにやって来て、アナウンサーの方たちに、ボイストレーニングを行っているのでしょうか? それプラス、アナウンサーさん達は、外部の教室などに通って、ボイストレーニングを自費で行っていたりして。教室などに通っていなくても、日常的に、ボイストレーニングを行っているだろうことは、想像に難くありません。本当に素晴らしい声と話し方の方ばかりですよね。こちらも華やかそうな世界ですが、本当に競争の激しいところで、声や話し方、といった、基本的な部分は、本当に高いレベルのものが当たり前に求められる世界なんでしょうね。

コメントは受け付けていません。

落語家さんって、ボイストレーニングはやっているんでしょうかね? 落語家用のボイストレーニング教室、って、あったら面白いと思いませんか?
漫才師はどうでしょう? 人によりますかね? 早口でまくしたてる、ツッコミ役の漫才師が、何を話しているのかわからないのでは、ボケ役のボケも活きてきませんし・・・一流の漫才コンビに、“何をしゃべっているのかわからない”ってことがない、ってことは、やっぱり、彼らも、ボイストレーニング教室に通っているんですかね。教室には通わないとしても、独自に、ボイストレーニングはやっているんでしょう。

講談師はどうでしょうか?
実は、私が知りたいのは、講談師の方が、ボイストレーニングをやっておられるか、ということなんですね。落語家も、漫才師も、そうなんです。なぜなら、私の今の仕事・・・ひとまえで講演する、というような類の仕事は、講談師の方の仕事に近いものがあるのではないか、と、密かに検討をつけているからなんです。
あるいは、落語の要素もありますし、ひとり漫才の部分もある、と、勝手に思っているわけです。
で、講談師の方がボイストレーニングをしているとすると、彼ら彼女らは、どんなボイストレーニングをしておられるのか? あるいは、そういう教室があるとすると、いったい、どんな教室に通っておられるのか・・・。
講談師の方が、こんなセミナーを開いてくれるとしたら、私は、真っ先に飛び付きます。

“講談師が教えるボイストレーニング教室”

私のような仕事をしている人間なら、こんな名目でセミナー集客をされたら、いちころだと思うんですがねえ。

コメントは受け付けていません。

Older Entries »